特別寄稿 第45号
科学技術交流を通じて「近くて近い」隣人の関係へ
執筆者プロフィール
- [氏名]:
- 汪義 翔
- [所属・役職]:
- 東京理科大学理工学部教養准教授
プログラム | |
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1日目 | 到着、野田キャンパス案内、歓迎の夕食会 |
2日目 | 開講式、オリエンテーション、日本語①、日本文化(日本の伝統音楽、三味線の実演講義)、学生交流会 |
3日目 | 日本語②、光触媒国際研究センター見学(野田キャンパス)、中国語クラス参加、研究室ミニインターンシップ(理工学部 高橋研究室) |
4日目 | 富岡製糸場見学、東京理科大学「まちづくり研究所」見学・講義、交流会 |
5日目 | 小布施町散策、北斎館見学 |
6日目 | 日本語③、特別講義「日中科学技術交流の現在と未来」 |
7日目 | 葛飾キャンパス見学、講義「日中文化交流史」、研究室ミニインターンシップ(基礎工学部、向後研究室、曽我研究室) まとめの討論会、修了式、お別れの夕食会 |
8日目 | 帰国 |
プログラムの概要
平成27年11月11日~18日、東京理科大学は大連理工大学(中国)から、材料科学を専門とする学生10名(学部生9名と院生1名)と引率の教職員1名を受け入れた。
大連理工大学は東北部随一の理工系大学である。だが、日中両国の若者(とりわけ日本の若者)には、その重要性と将来的な価値に対する意識が意外なほど希薄である。プログラムの実施責任者として、両大学の学生に日中の科学技術交流の来し方・行く末を考えさせるプログラムを実施することで、この「近くて遠い隣人」という関係を少しでも改善に向かわせたいと考えた。科学技術の知識そのものや科学技術の「現在」をめぐる共時的理解のみならず、その背後に横たわる文化・歴史の通時的文脈にも参加者の目を向けさせることを目的とするプログラムを構成した。
交流の成果
本学の野田、神楽坂、葛飾3キャンパスで研究教育施設を見学したほか、様々な学内外の行事、交流活動(公開討論会、研究室ミニインターンシップ、特別講義の聴講、長野県小布施町並びに町内にある「東京理科大学・まちづくり研究所」の見学など)への参加を通じて、日本の最先端科学技術のみならず、日本の自然・社会・文化・歴史に直に触れる機会を得た。
美しい日本の伝統的な田園風景のたたずまいを残す長野県小布施町での見学・交流は中国の学生に好評だった。
小布施では、まちづくり計画の策定に携わっている「まちづくり研究所」所長・川向正人教授(理工学部建築学科)による特別講義を受けた。小布施町では、単なる目先の収益ではなく、あくまでも地場産業と密接に調和した町の振興策や、伝統的な町の景観の保護に最大限の注意と工夫を凝らしながらの「町並修景事業」を実施。住民と事業主が一体となった格調ある住まいづくり、店舗づくりが行われ、個性をもった新しい町並み景観が形成された。
単に車道や歩道を広げることを以て良しとしてきた従来の都市開発型の考え方を採らず、「敢えて道路の幅を広げないことで、町の景観、安全性、そして他人を思いやる気持ちを同時に確保する」というまちづくり理念は大変刺激になったようだ。引率者の蘇さんは「より住みやすい、より美しいまちづくりを志す小布施の実験は、日本のみならず、いま急速な都市化が進む中国の田園地帯にとって、貴重な参照項になることは間違いない」と述べた。
町民との交流会では中国の学生から、自分の故郷についてプレゼンテーションをしてもらい質疑応答がなされた。その晩、学生10名は、本学に長期留学している中国人学生4名と共に小布施町の民泊(ホームステイ)に分宿し、日本の家庭的な雰囲気を体験した。
受け入れ機関の効果
本学からもできるだけ多くの学生を参加させ、日中間の教育、研究、文化交流を体験させた。学生交流会を開催し、大連理工大学の学生と本学の学生が、双方の大学紹介、キャンパスライフ紹介などを行った。交流会には60~70名の学生、教員が参加し、会場は、英語、中国語、日本語による多言語コミュニケーションで大盛況であった。本学の紹介では、学習歴わずか2年の理工学部の学生が素晴らしい中国語によるプレゼンテーションをしてくれた。交流に参加した多くの本学学生は、コミュニケーション能力(中国語、英語)養成の必要性を実感したと同時に、中国の大学との交流に興味を抱くようになった。また、交流後には、中国への短期派遣事業に参加したいという声が多数寄せられた。本学の学生と同様に、来日した学生の中からも、日本での体験をきっかけに、近い将来、大学・研究室・指導教官を特定した上で日本への留学を希望する者が現れると期待したい。
将来の課題と展望
今回の交流事業に関わった日中両国の学生は意見交換を通じて相互理解が進み、お互いを尊重する意識が芽生えた。このことで今回のプロジェクトの目的は達成できたと実感している。この交流によって芽生えた日中科学技術交流の芽を枯らさぬうちに、また、継続性を持たせるためにも、本学の学部生10名を大連理工大学へ派遣することを計画している。こうした科学を介した交流活動をより広く若い世代へ展開させていくことこそ、日中の科学の将来にとって極めて重要なのではないだろうか。