2017年度 活動レポート 第356号:国際善隣協会

2017年度活動レポート(一般公募コース)第356号

中国医科大学の学生が日本の先端医学教育を学ぶ

国際善隣協会からの報告

国際善隣協会では、平成29年11月27日~12月3日、中国医科大学から学生と教員を招へいし、日本の進んだ医学教育に接し、教師及び学生と交流を行うとともに先進施設を見学することを目的としたプログラムを実施しました。

概要

中国医科大学は、日本語による医学教育を実施しているクラスを持つ中国における唯一の医科大学です。数年前までは長春のベチュン医科大学にも日本語医学教育グループがありましたが、数年前、同医科大学が吉林大学医学部に変身したのを機に日本語医学教育グループが消滅しました。

85年に開院した北京にある日中友好病院に、中国医科大学は当初から医師の供給元として大きな役割を果たしました。従って、日中友好病院を影で支えていたのです。

そうした経緯もあって、日本政府はJICAを通じて1994年から99年まで、慶応大学、九州大学等日本の官民の医学系大学の協力を得て「日中医学教育センター」、続いて99年から2351年まで「日中医学教育センター臨床医学教育事業」の協力事業を実施しました。

近年、同医科大学のキャンパスが瀋陽郊外に新設したキャンパスに移転したため、当時の「日中医学教育センター」の痕跡はなくなりましたが、今回当協会は同大学の日本語による医学教育クラス(1学年30人、5年制で150人の学生)から、10人の第5学年生を招き、都内の医学系の大学を訪問し、教師及び学生との交流を行い、さらに日本の医療機器メーカーの展示館を訪問し、その歴史および先進的医療設備、機器を見学しました。そしてその絆を繋ぐことを試みました。その具体的日程は下表通りです。

訪問先における活動状況

11月27日午後瀋陽空港からの直行便で成田空港に到着、ホテルにてオリエンテーションを実施。

活動の第1日は千葉大学医学部附属病院を訪問、新しい附属病院のロビーはドラマDr,X「私は失敗しない」の病院のシーンに使用されていました。中国医科大学学生もそのドラマをよく見るとのことでした。4階の広い会議室に通され、横手副院長の歓迎の辞、次いで千葉大学医学薬学府長の白澤教授が医学部の説明及び日本の健康保険制度、その後、午後から地域医師に対す同大学の医療再研修施設及びその実習状況を見学、さらにリハビリセンター、透析センターを視察しました。

写真1
千葉大学医学部における横手副院長

第2日の28日は東京女子医大を訪問、ここでは会議室において清水教授から同女子医大の歴史、現状の説明を受け、昼食は講師、学生とともに採りました。中国医科大学の日本語教育グループの先輩で、同女子医大の医師や、年明けに訪中して中国医学を研修する女子医大生も加わり、和気あいあいの昼食会となりました。

昼食後は同女子大学の上塚教授の案内で先端医療技術施設を見学しました。同施設は早稲田大学との共用施設でもあります。医工協業施設を見学し、説明を受けました。

写真2
東京女子医科大学における日中学生及び講師との交流昼食会

第3日の29日、午前中は医療機器メーカーのテルモメディカルプラネックスを訪問しました。同社は、水銀体温計から始まった同社はその後発展し、日本でも有数な医療機器メーカーとなり、最近は東京女子医大と協力し、先進的なBS細胞から心筋シートの作成等に力を入れています。

午後は慶応大学医学部を訪問しました。ここでは早くから、日中医学生交流協会が立ち上げられ、現在まで続いて、毎年中国に医学生の交流団を派遣しています。

医学部では現在の同協会顧問の山岸小児科教授の講義、次いで卒業3年目の医学生が日本の新米医師の立場から医師の日常を説明し、その後、日中学生による将来診療科目として重視されていく科目について検討し、相互発表しました。

その後、小児科病棟を見学し、中国医科大学生は本国から持参した白衣を着て、慶応の学生達と病棟内を視察しました。夕食は信濃町駅の近辺の居酒屋で日中医学生交流協会の会長の初代同協の会長である眼科医の深川医師が招待宴を開催してくださいました。参加者にとり、最初の日本食であり、良い記念になったことでしょう。

写真3
慶応大学医学部における日中医学生交流会「今後の予測される診療科」

第4日の30日は、午前中はオリンパス工業の展示館を訪問し、参加者は2班に分かれて館内を視察しました。ここはカメラから始まり、今や世界的な内視鏡メーカーとして、名声を得ています。

午後は新橋の当協会において修了証書の授与と会員との交流会を実施しました。その際、参加者から、中国の医療状況と中国医科大学を例に取って中国の医学教育について説明し、会員の興味を引きました。

5日目の12月1日は午前、日本橋の第一・三共の薬ミュージアムを見学しました。その後、東邦大学医学部の大橋病院を訪問し、感染症の専門家である館田教授から、同病院が丁度東京の玄関の羽田空港に近いため、防疫面に力をそそいでいる旨の説明を受け、興味を引いていました。その後、同病院内の患者に重きを置いた図書室及び救急外来を視察しました。

こうして順調に日本での活動を終了して、12月3日無事成田空港を発ち、同日無事瀋陽空港に帰着しました。

今回の受け入れは、当協会としては最初の医学系関係者の受け入れであり、訪問先の決定には時間を要するものと考えていました。しかし、思いに反していずれの学校も医療機器メーカーも、今回の中国医科大学の訪問を大変歓迎されました。

それには中国医科大学が南満医科大学時代から日本とのつながりがあり、戦後の人民中国になっても日本とのつながりを保ってきたからこそです。それは、人民中国のひとつの寛大さのためであり、また、科学に対する真摯な姿勢からでもあるように思います。

また、中国医科大学は中国の医科大学の中でも最も日本の医科大学との協力協定の多い医科大学です。これもまた、それまでの日中関係の伝統から中国医科大学に対し、支援を惜しまない結果だと思います。こうしたことから今後とも中国医科大学との関係を続けていくことが重要です。