感銘を与えた日中大学フェアの特別講演と基調講演
2016年 5月10日 馬場 錬成(中国総合研究交流センター上席フェロー)
「これからの社会にための科学と技術」
ノーベル賞受賞者の野依良治博士が特別講演
日中大学フォーラムの開会式が終了した後、日中の3人の代表による特別講演と基調講演が行われた。講演要旨は次の通り。
写真1 野依良治博士・科学技術振興機構研究開発戦略センター長
特別講演は、ノーベル化学賞受賞者の野依良治・科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター長が「これからの社会にための科学と技術」のタイトルで講演した。
まず、自身が43歳のときの1982年に初めて訪中した際の思い出の話を語り、中国科学界の偉大な研究者と交流してきたことを紹介した。続いて野依センター長のノーベル賞受賞業績となった有機化学の右手系と左手系の研究内容を説明し、左右対象系でありながら、そのどちらかの化学的な構造によって味や匂いが変わったり、実社会に有効なものになったり医薬品になる一方、半分が役立たないものになったり毒性を持つ化合物であることを分かりやすい構造式などで説明した。
27歳のときに、左右を効率的に分けることができる原理を偶然発見したが、まだ実用性が低かった。しかし名古屋大学に移り左右の役立つ方を産業に生かす方法を企業と一緒に開発し、単なる技術開発ではなく社会的に意義のある研究だったことを説明した。
続いて「中国には偉大な科学の歴史がある。火薬、印刷技術、紙、羅針盤という中国の四大発明は、欧州に伝えて文化の発展に大きな影響を与えた」と語り、東洋医学でも独自の研究を発展させた。いまや世界の第2の科学大国だと語った。
世界の経済規模が急激に拡大してきた現状を報告し、無限の拡大は不可能であり、今後の経済は質の問題をするべきだと主張した。環境、エネルギー、人口問題など直面する課題を乗り越えるには文明論が必要であることを訴え、これからの時代を先導する科学技術の在り方を考えるべきだと語った。そして日中の科学技術協力によってこうした世界的な課題を解決するための世界の中核になってほしいと期待を述べた。
先端人材の育成でリーディング的な大学を育てる
基調講演は万立駿・中国科学技術大学学長
写真2 万立駿・中国科学技術大学学長
万学長は、日本の東北大学に留学したことがあり、当時をふりかえりながら、日中の科学技術交流の先駆けとなった体験を話した。「いま第4次産学連携の時代であり、世界一流の大学を目指し、サイエンス・イノベーションをおこし、国家の戦略に沿った優れたイノベーションをおこす時代になった」と語った。
大学は優れた人材育成をしなければならないことを強調し、優れた人材とはイノベーションをおこす能力を持っているだけでなく、指導力も持っていることが重要であると主張した。同大学は1958年に設立されたもので、大学の経営方針の基盤は、大学と科学院傘下の100以上ある研究所と融合を図っていく点であり、万学長はその歴史と組織の在り方を語った。
同大学は学部生が2万人以上おり、大学院生も1万人を超えている。教育方針は特に基礎教育を重点的にしており、イノベーション育成、ハイレベルの人材育成と共に、そのような教育ができる大学経営を行ってきたという。
研究センターの設立、放射装置をはじめとする先端研究装置の設置などにも恵まれ、研究テーマも、国家の重要な科学プログラム43件を受け持っている。規模の大きな公共的、国際的な研究センターを立ち上げ、学部と融合して人材育成のプラットフォームを構築している現状を報告した。
アカデミーの院士は8人おり、22の合同ラボ・重点ラボが作られている。また、人材育成のモデルに取り組んでおり、少年クラスの育成では優秀な16歳以下の少年・少女を大学生として受け入れる英才クラスを作っている。これらの年少学生も途中で自由に専門を変更する制度を取り入れ、修士課程、博士課程までに自由に専門を変更できるようにしているという。
これまでハイレベル人材の育成で貢献しており、研究成果でも地球物理学分野では中国で1位と評価されているのをはじめ2位とされているテーマも多数ある。国際大学ランキングでは113位になっており、多くの国際的な賞を獲得したと報告。「大学の使命はリーダーの育成にあるので、そのような大学作りに頑張っていきたい」と結んだ。
世界トップレベルの研究拠点を目指す
里見進・東北大学学長の基調講演
写真3 里見進・東北大学学長
里見学長はまず、東北大学の歴史を紹介し、特に魯迅が留学した1904年からの中国との交流を語った。この伝統は今も生きており、東北大学と中国の研究者交流は年々数を増加させているという。同時に東北大学と中国機関との共著論文も年を追って増加している。教育プログラムでは清華大学と連携しており、上海交通大学とはグローバル人材育成プログラムに取り組んでいる。
1913年に、日本で初めて女性を受け入れた大学だったように独創的な研究を生み出す研究第一主義の大学に育ち、ベンチャーを育成し実学を尊重する歴史を語った。
2011年に発生した東日本大震災からの復興への取り組みで、多くの先端的で先駆的分野の強化を促進し、防災を学際的に研究する試みでも大きな成果を出していることを報告した。
また医療情報とゲノム情報のコホート調査では、14万人の調査を実施して2013年に1000人のゲノムを分析した。これだけの規模は世界初だったと報告した。また伝統的に強い集積エレクトロニクスの研究では、研究開発センターを設置して若手研究者の育成とポスドクなどの研究者に重点を置き、広い視野を持った人材育成に取り組んでいると語った。これは国際産学連携にもつながっているという。
7つの国際共同プログラムを推進し、世界30傑に入る大学を目指すとしている。活発な研究者交流を展開しており、現在1600人ほど留学生がいるが半分以上が中国人だとしている。これからも積極的な大学経営を行い、世界に通じる大学の実現に取り組むと表明した。
日中の厳しい状況を乗り越えた大学フェア&フォーラムの実施
沖村憲樹・科学技術振興機構特別顧問の報告
写真4 沖村憲樹・科学技術振興機構特別顧問
日本と中国の科学技術交流を活発に行う時代を認識し、15年前にJSTの北京事務所を開設し、10年前から中国総合研究交流センター(CRCC)を設立した。その後、政治的な問題から日中間が冷え込み、非常に厳しい時代となったが、日中関係者の協力で今日を迎えたことに感謝の言葉を述べた。
日中大学フェア&フォーラムの開催では、中国政府の協力を受けながらスタートすることができた。しかしその後発生した尖閣列島問題などで、日中の人々の9割がそれぞれ相手国と国民に対し嫌悪感を示した異常な状況となり、これを是正するために若い世代の交流を目指すために日本・アジア青少年サイエンス交流計画「さくらサイエンスプラン」を創設した。
当初は中国の若い世代だけを対象にしたが、当時の文部科学大臣の指導で東アジア全体を対象とすることになった。しかし実際には、日本への招へい者は中国が比較的に多い事業となった。今年の招へい者は5千人だが、今後は1万人を招へいする計画を推進したいと訴えた。
このさくらサイエンスプランでは、中国の優秀な高校生を日本に招き、ノーベル賞受賞者の特別講義をはじめ、世界トップクラスの研究施設、大学などを訪問して実際の研究現場を見学するコースを作っている。このような事業内容は、招へいした高校生たちからも高い評価を受けており、ほぼ100パーセントの高校生たちが日本人は親切でやさしく、研究レベルが高いと語っている。
また、沖村氏自身のことになるが、この1月に中国の国際科学協力賞を授与され、外国人受賞者7人のうちの第2位の序列で授与された。その時の写真が中国中に流れた。習近平主席体制下で初の受賞であり、行政官としても初の受賞であった。
「これは私自身への授与ではなく、日本政府が日中の科学技術交流を推進してきた成果を中国政府が評価してくれたものと受け止めている―」沖村氏は、これまでの協力に感謝し今後の一層の協力を要請した。